The Decisive Strike

Pulvis et umbra sumus.

いかにしてわたしは Google に入社し、そして退職したか

長山です。2019 年 3 月 29 日付けで 7.5 年勤めた Google を退職しました。

わたしは SWE ではなくアナリストとしてエンジニアリングの組織にいました。検索や Play といったプロダクトで、スパム対策の戦略やフィルタを作ったり、データ分析を通じてプロダクトの改善点を見出したり、アウトリーチを行ったりと、様々なプロジェクトに興味のままに関わっていました。ちょうど今日退職したので、入社エントリのビッグウェーブのついでに、自分が Google で何をしていたのかをまとめておこうと思います。

そもそも、なぜ Google に入社したのか

2011 年当時、わたしはイギリスの London School of Economics and Political Science (通称 LSE) という大学で、社会人類学の修士号を取得している最中でした。先行研究を読んだり論文を書いたりして楽しく過ごしていましたが、修士課程も半分ほど過ぎようとしていたある日、わたしは恐ろしいことに気づいてしまったのです。

「金が足りねえ」

当時まだ欧州連合の一部であったイギリスでは、イギリス人であるか、コモンウェルスの出身であるか、欧州市民であるかそうでないかなどをベースに学費が決定されていました。もちろん日本は欧州連合の一部でもコモンウェルスの一部でもなかったため、わたしは日本円にしておよそ年額200万円ほどの学費を支払っていました。決して安くないロンドンの生活費と合わせると、年額およそ300万円ほどを生きているだけで使っていたのです。父を早くに亡くしたため親からの支援を受けられる状況ではなく、どマイナーな研究分野を専攻していたため国からの奨学金は得られず、重度のADHDであったため数々の奨学金を得るチャンスを逃していたわたしは、基本的に自分の貯金からすべての支出を捻出していました。そして、わたしの貯金は、あと3年ある博士課程の費用を捻出する額はすでになかったのです。(このときほど「日本がイギリスの植民地になっていれば…」と思ったことはありませんでした。)

そこでわたしが行ったことはひとつ。

Google を開いて、通年採用で新卒者を取っている企業がないかを検索することでした。

わたしは日本社会で働いて生きていくのが難しいタイプの人間です。わたしは時間にルーズで書類仕事が苦手であり、また協調性というものが全くない人間であるため、日本企業で働くことは不可能であると思われました。そして、最終的にわたしが見つけたのが、 careers.google.com というサイトでした。

Google は変な企業であると聞く。ここなら、わたしが社会に適応せずとも働いていくすべを見つけることができるかもしれない。

他にも一応ロンドンキャリアフォーラムに行ったりして他の企業は受けていたのですが、面白いように落とされました。そのなかで唯一わたしを採用してくれたのが Google という会社だったのです。

特に面接に対してこれといった準備はしていきませんでしたし、質問内容もあまり覚えていません。最初の面接はロンドンオフィスで、後の面接は東京オフィスで夏休みに帰省するついでに受けました。ひとつだけ覚えている質問は、「好きなウェブサイトはありますか?」というもので、「妖精現実フェアリアルです」と答えたのを覚えています。

その後もチームを移ったりロケーションを移ったりする際にいくつか面接を経験しました。大まかに分けて、面接で審査されることは3つほどに分かれると思います。

  • あなたはどのような人か、一緒に働いていて気持ちいいのか、Google に合っているか(実は一番重要)
  • 実際の業務に関わる知識や経験をどれくらい持っているのか、エンジニアならシステムデザインやアルゴリズムを理解しているのか、アナリストなら任意の言語でのデータ分析ができるか、パートナーシップなら実際のパートナーとのやり取りの中で発生しうる状況に対してどう対応するか、などなど。
  • 未知の事象に対してどういうふうに対応するのか、新しいことを学ぶことはできるか

ゴルフボールをいくつ詰められるかとかいった突拍子のない質問には出くわしませんでした。あくまで「この面接では何を測定したいのか」という事がベースにあって、それを図るためにベストだと面接官が考える質問が出てきます。Google ではいわゆるジョブ型雇用を行っていますから、対策を練るとすれば、「どのような仕事内容なのか、何が求められているのか」をしっかり理解することが重要です。

Google で何をしていたのか

わたしは 7.5 年間の間で大きく分けて 4 つのチームと、たくさんのプロジェクトを経験しました。外に出せる仕事を以下でざっと説明します。

Webspam

Webspam チームは、Google が提供する検索エンジン上からのスパムの排除を目的としたチームです。わたしが就職した当時は Matt Cutts が率いていました。ウェブマスターガイドラインを制定し、ガイドラインに違反している可能性のあるサイトを検出するシステムを作成し、自動的にそれらのサイトの順位を下げるシステムを作ったり、あるいは手動で様々な対策を行うオペレーションを作ったりしています。

わたしは最初手動対策チームのスパムファイターとして入社しました。そこからチーム全体の業務を分析するアナリストチームに移動し、ポリシーの策定から、チームの業務のアプルーバルや、全体のスパム動向の分析、スケーラブルなエンフォースメント プロセスの制定や改善などなど、いろいろやらせて頂いたのは良い思い出です。懐かしいです!

Webmaster Trends

検索エンジンがきちんと機能するためには、WWW 上に存在するウェブサイトをきちんとクロールし、インデックスし、その中身を理解する必要があります。Webmaster Trends チームは、インデックスされているウェブ全体の分析やアウトリーチ活動を通じて、このエコシステムが正常に機能することを担保するチームです。

わたしは主にモバイル、および日本を対象にしたアウトリーチ活動と分析業務を主に担当していました。アウトリーチ活動というのは、ウェブマスター フォーラムの運用であったり、YouTube 上で皆さんから寄せられた質問に答えるハングアウトを行ったり、外部のカンファレンスで講演を行ったり、ブログ記事を書いたり翻訳したり、というものが主になります。米国から日本に対するアウトリーチを行うのはすこしタイムゾーンの関係上トリッキーなところもありましたが、この過程で色々なことを学び、様々な人に会うことができ、とても楽しいプロジェクトだったなと感慨深く思い出します。

自分が書いたり関わったりしたブログポストやサイトには、こういうものがありました。

Play Spam & Abuse

そのあと、Google Play におけるスパムの排除を目的としたチームが新しく立ち上がる際、Websearch 時代に一緒に働き親しくしていたエンジニアが Play に異動し、「新しくチームを立ち上げるので、カズシと一緒にやりたい」と言ってくれたので移りました。

このチームでは、アナリスト数人を率いて Analysis Lead をしばらくやりました。アビューズベクターの分析、検出アルゴリズムの設計、フィルタの開発などが主とした業務です。その後は少し立ち位置を変え、Product Management をやっていました。主に触っていたのはチームのメトリクス周りで、チームの主たる目的が何であるべきかを決定し、考えられる要件に基づいてどのようなメトリクスを設計すれば、目的に適った機能開発やインセンティブ設定ができるかを考え、複数のチームと一緒になってそれを実装していく、というような役回りでした。

このときも行った仕事についていくつかブログポストを出しました。不正なインストールやレビュー、アプリの検出に関するものになっています。

こうやって振り返ると本当に色々あって楽しかったなあ…一緒に働いてくれてわたしのような人間を許容してくれた皆さん、ありがとうございました!

大学でやってたことと関係ないのに、どうして働けたの?

実はそう関係なくもないです。わたしは学部時代は政治学を専攻していたため計量政治・国際政治・法哲学・政治哲学・思想史などを学び、大学院では社会人類学を専攻していたのですが、計量政治時代に勉強した基礎統計学やゲーム理論はどのような分析をするにせよ役に立ちましたし、法・政治哲学はアビューズのポリシー制定や運用に際し非常に助けになりました。結局の所どのような局面においても「わたしは・われわれは何をなすべきか?」という問いは常に存在しますから、どこにいて何をするにせよ倫理学を学ぶことは人生を豊かにする助けになります。また、社会人類学は参与観察をベースとしたエスノグラフィを得意とする学問ですから、どこにいて何をしていても、常に人類学をしていることになります。わたしは過去 7.5 年間ずっと Google の参与観察をしてきたようなものです。いろいろ知見が溜まってとてもおもしろいモノグラフが書けると思っています(NDAがあるため実際に書くのは難しいですが)。

テクニカルな側面─ BigQuery の書き方、MapReduce や Flume の書き方、コンピュータの動作原理、システムデザインの方式、機械学習モデルの作り方などは入ってから勉強しました。Google は社内にドキュメントがいくらでも転がっているので、好奇心と時間さえあればいくらでもひとりで学習できるのがとてもよいところです。

自分が Google で評価された一番大きな理由は、問題を発見するのが上手だった点にあると考えています。現状をしっかりと分析して問題を発見し、なぜそれが重要な問題なのかを数値や言葉を通じてきちんと人に伝えることができる、というのはアカデミアにおいても企業においても重要なスキルです。自分はたまたまそういったスキルを上手く磨くことができていたかな、と思います。

なぜ Google を退職するのか

祇園精舎の鐘が鳴ったことにより、ミネルヴァの梟が飛び立ったからです。

自分は、人生の岐路において、「五年後何をしているか想像がつく選択肢よりも、想像がつかない方の選択肢を選ぶ」というポリシーで人生を運用しています。理系だった高校生時代から大学進学時に政治学を選んだのも、大学院で人類学に切り替えたのも、そこから Google に就職したのも、Google 内で米国に移動したのも、そちらのほうがよりどうなるかわからない選択だったからです。

そして 7.5 年勤めた結果として、もし Google に、米国に残ったとしたら、どのようなことが起こるかを大体予測することができるようになってしまいました。きっとこのプロジェクトはこれくらいの年数かかるだろうとか、その時自分はどういうロールにいるだろうかとか、こういうスキルが必要になるだろうとか、

「だいたいわかったかなあ、」という感覚を抱いてしまった結果として、モチベーションが上がらなくなってしまいました。

もちろん他にも細やかな理由はあります。ビザの関係上、グリーンカードにスイッチせずに米国にいられるのは今年までだとか、昨年末に祖父が亡くなって、もっと母や家族のそばにいたいだとか、そもそもこんなに長く働くつもりはなかっただとか、シリコンバレーに住み続けるのはあまりサステナブルではないとか。でも、最終的にわたしを決断に導いた問いは、「それって面白いの?」というものだった、と思います。

Google を退職してなにをするのか

Google では色々と楽しませてもらったのですが、そのあいだなおざりになってしまったことも数多くあります。まずはそれをひとつひとつ終わらせていきたい。

  • 回顧録を書く:13年前に亡くなった父・徹と、昨年亡くなった祖父・英三の回顧録を書きたいと思っています。わたしはどうにもしっちゃかめっちゃかな人間ですから、まとまった時間を取らないとこういった文章は書けません。彼らの生きた記録を残すことは、残されたわたしの使命だと思っています。
  • ミルクハニーを売る:母の会社である相楽ネットワークでは、牛乳から甘み成分を凝縮させたシロップのような「ミルクハニー」を日本でメジャーにするべく、小売商品を企画しています。デザインも出来上がってきたので、ちゃんとプロダクトとして売っていくのを手伝いたいと思っています。おいしいですよ。
  • インターネットをよりよい場所にする:「ここはひどいインターネッツですね」と悲しむひとがいなくなるまで、インターネットを良くするために活動したいと思っています。
  • ちゃんと博士号を取る:がんばるぞ…北一輝と日本のナショナリズムについてちゃんと書ききるのだ…
  • 膝栗毛:以前学生の頃京都から名古屋まで歩いたのですが、本来は東京まで歩く予定でした。せっかくの機会なので中山道を通って名古屋・東京間を歩こうと思っています。二週間弱かな。

Google に入りたい人へ

Google は自分のような人間でも楽しく仕事することができ、最終的に8年近くも在籍してしまう、とてもよい企業です。

働いているひとの多くに共通することは、意識が高いとか低いとか、能力があるかないかとか、そういうことではないかなと思います。

それよりもまず、目の前にある問題を解決することを楽しむことができるか、知らないことを知ることを楽しむことができるか、ということが重要です。「しごと」を「あそび」に変えることができるひとは、きっとどこにいて、なにをしていても、そこに楽しみを見出すことができるでしょう。

そしてなにより、インターネットを、そして Google の作っているプロダクトを愛しているかどうか。どちらもできたときと比べるとずいぶんと大きくなって、いろいろと変わってきたところもありますし、新たに直面している課題もあります。それでもわたしは退職後も、インターネットと Google を愛していますし、インターネットを良くするための活動を続けていきたいと思います。

世界は大きな砂場だぞ、いろいろやらかして楽しもう!