The Decisive Strike

Pulvis et umbra sumus.

1on1は、人間に戻るための場所である

フジイユウジさんが経営している agend.jp というメディアで、1on1が取り上げられた。とても面白いので読んでいない方はぜひご一読を。

agend.jp

わたしはこの記事のインタビュアーであるフジイさんと 1on1 を定期的にしているので、自然とこの記事の話になった。わたしも部下としてあるいは上司として 10 年以上 1on1 をやり続けているので、この件について臆見を述べるとすれば、それは「1on1は、お互いに人間に戻るための場所である」というものだ。

資本主義が生み出した制度である会社で働いている我々は可換的存在である。別にこの仕事それ自体はわたしでなければできないものではない。仕事というものはマクロで見れば資本主義においては半ば自然と発生するものだ。わたしが充しているニッチは、わたしがいなくともいずれ誰かが埋めるだろう。われわれは仕事という文脈においては人間ではなく単なるその運動の一部としてそこに現れる。

けれどもそれだけでは我々は生きていくことができない。完全に固有名を捨てることは我々にはできない。人間性や個別性を忘れることはできない。人間性というものはそもそもが歪みのようなもので、普段は社会人というパリッとした服装でそれを覆い隠しているけれども、社会が生み出した鋼鉄の檻のなかに綺麗に収まり続けるのはやっぱり窮屈なのだ。そして 1on1 は、檻から出てもいい時間なのではないかとわたしは考えている。

だからわたしは 1on1 においては特にアジェンダというものを設けない。普段の 1on1 においては、散歩をして、コーヒーを飲んで、最近どうっすか、すっかり寒いですねえ、スプラ遊んでますか、という話をする。もちろん必要に駆られて「今日はこういう話をする必要があります」とやることはあるが、それは例外的なものだ。まあ別に仕事の話はいったんいいじゃないですか。仕事の話をするMTGはそれはそれとして設定してあるでしょ。そうじゃなくて、その合間にあるもの、行間にあるもの、冬の空気に吐いた白い息みたいなものの話をしたほうがいいんじゃないですかね。仕事の話は、それが終わってからでいいんじゃないですか。

という話をしたら、フジイさんは「長山さんの言いたいことはわかるけど、それじゃあ伝わらないんじゃないですか」と言っていた。わたしの言葉は、大抵の人に伝わらないのだ。