The Decisive Strike

Pulvis et umbra sumus.

坦々麺を食べながら時代の変化を感じた話

時代の変化を感じます
  • 近年、ファミレスや冷凍食品のクオリティがぐんぐん上がっている。今日もデニーズの坦々麺を食べたのだが、そのクオリティの高さに舌を巻いた。
  • 中華料理に詳しい師匠も、「バーミヤンのラーメンがうまい」と言っていた。ジョブチューンなどのテレビ番組で放送される通り、こういったチェーン店やファミレス、コンビニスイーツ、冷凍食品などのおいしさの向上が止まらない。
  • 昨日の aQoLpD (achievable QoL-per-Dollar) にも通じる話だが、 最近の日本社会は、安いものを工夫や技術によってより美味しくすると言うことに多大なる努力を注いでいるように感じる。すばらしいことだ。
  • いや、日本社会だけではないのかもしれない。世界中で食品の味に関して全体の底上げがなされている。昔はメシがまずいと有名だったイギリスでも、今ではそうまずい飯に出会わなくなった。ボトル3000円、グラス200円の赤ワインがちゃんと美味しくなった。良い時代だ。
  • 家の周りにバーミヤンがないのだが、今度遠征してラーメンの味見をしてみようと思った。
格付けチェック
  • ワインといえば、5000円の赤ワインと100万円の赤ワインを飲み比べて、どちらが高価なものか芸能人に当てさせる番組を見た。
  • しかし個人的には、ワインの味なんて大体1万円くらいでカンストし、あとはブランドや物珍しさ、希少価値しか上がっていかないのではないかと思っている。
  • 熟成が進むことによってフレッシュさは失われ、タンニンはおとなしくなり、アミノ酸が目立つことによってダシ感が出る。自分はそれを「赤ワインの醤油化」と呼んでいるが、醤油化したワインがうまいのか、はよくわからない。いや、旨みは増えているのだろうが。
  • 味のカンスト現象は寿司やフレンチなどのレストランでも起こりますよね。大体1万5000円くらいでカンストする印象がある。
  • 最近の高い店は5時8時で2回転するから店の都合で晩御飯を早く食べるか遅く食べるかを強制させられるが、あれはどうなんですかねえ。飯くらい自分のペースで食べたいよな。

日本は全然終わってない派

AQoL per dollar
  • 夜の上野公園を歩きながら、アメリカ人は言った。「こんな時間の公園が安全なんて信じられない」。日本でしかあり得ないね、と笑いながら。
  • 確かにその通りだ。大きな公園の中を陽が落ちてから通り過ぎるのは、アメリカではあまりに危険だ。どこでドラッグの受け渡しが行われているかわからないし、誰が銃を持っているかもわからないのだから。
  • アメリカは極端な例としても、 ほとんどの諸外国では、夜の公園が安全であると言う事が生活実感として理解しがたいものであることは確かだろう。 けれども、こういった事実を我々日本人は忘れがちで、単に一人当たりGDPを比較して物事を語ってしまう。けれども本当の QoL はそれだけでは見えてこない。
  • 日本社会がどれくらい「よい」のかを実感するには、数値としての achievable quality-of-life (AQoL) per dollar の可視化が必要だろう。経済学者と一緒に策定したいところ。
風邪
  • 昨日の朝から体調が悪く寝たり起きたりしていたが、 朝起きたら喉の痛みが激しかったので、諦めてイブプロフェンを飲んだらすぐおさまった。 やはりイブプロフェンしか勝たん。今日も早めに寝ることにします。

毎日ウォーハンマー生活

ウォーハンマー練習日
  • 今日は1月21日に開催される大会の練習で、ウォーハンマー1000pt戦を3戦。自分はジーンスティーラーカルト。
  • 今日の対戦相手は、ダークエンジェル、オルク、サウザンドサンで、いずれも勝利。これを大会でやりたいなあ。
  • ジーンスティーラーカルトの使い方が少しわかってきて、無知の谷を抜けた感覚がある。ロスターを確定させ、大会運営に送信した。
  • できれば、平日1回、休日1回で2回はウォーハンマーのゲームがしたい。
いぬのきもち
  • 犬を飼っているので、機内にペットを持ち込みたいという人の気持ちはよくわかる。今回ペットを亡くした人たちも、きっと悲しいに違いない。
  • けれども残念ながら犬に人権はなく、どれだけ愛していても制度上の庇護は人間とは全く異なる。「ペットも家族」というのはレトリックの話にすぎず、実際にはモノとして扱われる。そしてそれは仕方ないことだと思う。社会が避けるリソースは限られているのだ。
  • 犬は吠え、噛み、駆け回る生き物だ。どれだけ躾けられていてもその本質は変わらない。だから他の人間がいる密室に持ち込もう、というのはなかなかハードルの高い議論だということを、犬を飼っている側こそ認識しなければならないと思う。
  • そういえば引っ張り合いっこしているときに「グルルルル」と言うのを「怒っている」という人が多いが、あれは怒っているのではなくて興奮しているだけです。
小さな幸せ
  • 何かから全力で走って逃げ続けるような人生だったが、最近は少しペースを落として歩くことができている。
  • 小さな幸せを探しながら生きる、というのも悪くないものだ。

希望を売るな

希望を売るな
  • 「私たちは化粧品を売っているのではない。希望を売っている」って言われちゃうと、「うるせーな化粧品売れや」と思ってしまう。

  • もちろん理屈はわかる。 化粧品の価値はその物自体に内在しているのではない。むしろ、化粧を施された顔がもたらす体験を通じてのみ化粧品の価値は実現される。 化粧に利用されずして化粧品の価値があるわけではない。だから化粧品を売る会社は、モノを売っているのではなく、それを利用した化粧がもたらす体験を客にもたらしているのだ。それは希望かもしれないし、ドキドキかもしれないし、社会と相対するための強さかもしれない。そのロジックは理解できるし、それを「希望を売っている」と表現することは、むしろ秀逸なコピーライティングとして称賛に値するものだろう。
  • しかしこのような言説を通じて「希望を売る」ことを表明してしまうと、売られているモノ、プロダクトそのものに対するこだわりは前景から外れることになる。極論すれば、消費者に売られているどんな商品も、「希望を売っている」のだ。水素水だって血液クレンジングだってCO2回収サブスクだって、夢を、幸福を、希望を売っているのだ。しかし、それで、それだけでいいのか?むしろ希望ではなく化粧品を売っていること、よいモノを売っていることに誇りを持つべきなのではないか?そう思ってしまうのは、モダンに乗り遅れているだろうか。
車を買い替えようと思っている。
  • 現在は Mazda3 SKYACTIV-X 6MT に乗っているのだが、マニュアルだと自分しか運転できないということで、オートマ車に変えようと思っている。せっかくならEVがいい。家にも充電設備があるし。ずっとマツダに乗っているので、できればマツダがいい。
  • そこで、MX-30 の1日試乗プログラムを利用して、1日車を借りて家の周りをうろちょろしてみた。走り出しもスムーズだし、車内の静粛性が非常に高いので音楽も気持ちよく聴ける。なかなか悪くない、と思った。
  • しかし MX-30 を返却して自分の Mazda3 に乗り込みクラッチを踏むと、あまりの楽しさに唸ってしまった。やはりマニュアル車は運転して気持ち良い。ギアがスッと入ると気持ち良いし、エンジンの細やかなコントロールをしながら走る道は、別にその辺の一般道だってとても楽しいのだ。困った。どうしようかな。
  • マニュアル車の運転の楽しさを追求するなら、やはり MX-5 ロードスターだろう。今年の改良でナビも新しいものになり、購入欲をそそられる。しかし実用性はゼロだ…
  • 全てを諦めて実用性一辺倒の車を買い、二台目として小遣いでロードスターを持つのもいいかもしれない。実はそれがFAだったりするのか?
  • 夜、家の近所の焼肉屋で飯。うまい。特に粕汁が秀逸だった。
  • 何も考えず、最近思っていることをひたすらただ話し、すっきりした。